*ネタバレ危険。ネタバレアレルギーの方は今すぐ引き返してください。満載です。
とんとん
静かな部屋に控えめなノックの音が響く。
夢中になって漫画のページをめくっていた僕は、なんとなく水をさされたような気分で顔を上げた。
今日は日曜日。
時計を見れば、まだ午前十時を回ったところ。
こんな時間に誰だろう?
事故以来の僕には、休日に訪ねてくるほど仲のいい友人は、まだほとんどいないはずなんだけど……。
首をかしげながら返事をして立ち上がると、鍵のかかっていなかったドアは僕が開けるまでもなく開き、
「……あれ、鈴?」
その影から、今日は来るはずのない幼馴染の姿が現れた。
〜直枝理樹と文明の利器〜
「今日は用事がある」
「え、そうなの?」
朝食の席、今日の予定を尋ねた僕に対し、紅鮭の切り身をかじりながら鈴が答えた。
ちょっとびっくりしてしまう。
ここの所――というかあの事故があって以来、休日はいつも一緒に過ごしていたからだ。
だから、てっきり今日もそうだと思っていたんだけど……。
「何か手伝えることがあれば――」
「いや、いい。あたし一人でじゅうぶんだ」
助力の申し出も最後まで言わせてもらえなかった。
何がなんでも一人でやりたいらしい。
鈴がここまで頑なになるのは久しぶりのことで、それだけに用事の内容がいっそう気になるけど、ま
あ、訊いても教えてくれないんだろうなあ……。
僕がそんなことを考えているうちに、鈴は残っていた卵かけごはんをすべて平らげたらしく、
「じゃあな、理樹。夕食までには戻る」
と、実に思春期の学生らしい台詞を残して足早に学食を出て行ってしまった。
そんなことがあって。
学生寮に一人寂しく残されてしまった僕は特にすることもなく、部屋で恭介のものだった漫画なんか
見つけて読んでみたりしていたんだけど……。
「どうしたの? 今日は用事があるって言ってなかったっけ?」
とりあえず、話しかけてみる。
というか、目の前に立つ鈴はなんだか様子がおかしかった。
何か顔も赤いし、そわそわと手や足をひっきりなしに動かしている。
そして何より僕と顔を合わせようとせず、俯いたままちらちらと目線だけを送ってくるのだ。
そんなちょっとおかしい鈴が、どもりがちに口を開き、
「そ……その、な……」
「うん」
「あ……あの、な……」
「……うん?」
たっぷりとタメを作ったあと、
「……あたしに、教えてくれ……」
何かとんでもないことを口走った。
「……なるほど、一体何事かと思ったよ」
「うううっさい! 忘れろぼけ―――!!」
今頃になって自分がいかに紛らわしい言動をしていたのか自覚したんだろう。
耳まで真っ赤になった鈴がチョップを繰り出してきて、僕はなすすべもなくその餌食になった。
鈴の話を要約すると、つまりはこういうことだった。
先日、中学の頃から使っていた鈴の携帯電話の電池がついに寿命を迎えたらしい。
昔はそうでもなかったみたいだけど、今では携帯は鈴にとっても必需品だ。
なにぶん古いモデルなので、換えの電池も生産中止になってしまっており、買い換える必要が出てき
た……と、そこまではいい。
問題は、その携帯にみんなとのメールのやり取りが記録されていたことだ。
みんなと出会ってから事故に遭うまでの、短いながらも確かに在った時間の証。
それらのデータは、このままでは新しい携帯に買い換えると同時に失われてしまい、二度と戻ること
はない。
鈴は、それが嫌だった。
そのため、消耗した電池をだましだまし使っていたらしいのだけど、昨日の放課後、それを目ざとく
発見したクラスメイトたちに理由を問い詰められたのだそうだ。
「でも、よく話してあげる気になったね。そういうの嫌がりそうなのに」
「『話さないとこうだー』って八人がかりでもみくちゃにされた……。……はるかとくるがやがいっ
ぱいいるみたいだった……」
「……いやまあ」
愛されてるね、鈴。
ともかく、訊き方はちょっと強引だったけど、彼女たちは携帯の苦手な鈴の代わりにちゃんと打開策
を考えてくれていた。
外部記憶装置――メモリーカードにメールのデータを移しておけばいい、というものだ。
なるほど、それなら携帯は無くなったとしてもメール自体は残り、またいつでも読み返すことができ
る。
それを知った鈴はとても嬉しかったに違いない。
めったに見せない鈴の笑顔が目に浮かぶ。
きっと嬉しくて、嬉しくて、そのままの勢いで喜び勇んで実行しようとして……
「そして、携帯の操作が分からないことに気づいたんだね?」
「うぅ……。文句あるかぼけぇ……」
さっきとはうってかわって、ずいぶんと力の抜けた「ぼけー」だった。
なるほど、どこかおかしかった態度は、大見得切って出かけた手前、教えてもらいにいくのが恥ずか
しかったからなんだ。
強くなっても、こういうところは変わってないんだと思うと、なんだか微笑ましい気分になった。
「うん、そういうことなら僕も協力するよ」
「ほんとか!? 理樹がいるなら百人力だっ」
「はは、僕もあまり詳しくないけどね」
「そんなことない。理樹はあたしの携帯のししょうだっ」
それに、そうまで一途に頼られると、なんだって教えてあげたくなってしまうわけで。
「それじゃあ、まずはどうしよう? メモリーカードは買ってあるの?」
ちりん、とうなずく鈴。
「たかやなぎがメモを作ってくれたから、さっきコンビニで買ってきた」
「そっか、じゃあ後は携帯の操作だけだね。とりあえず僕がやって見せるから、鈴は今度からは自分
でできるようにやり方を覚えておいて」
「わかった、まかせておけ」
鈴からコンビニ袋を受け取り、真新しいメモリーカードを取り出して携帯の側面に差し込んだ。
それから、二人横に並んで携帯の画面を覗き込み、鈴が覚えられるようにポイントごとに説明を挟み
ながら操作を進めていく。
と、
「あれ?」
いきなり画面いっぱいにエラーを示す赤い×マークが表示されて、操作ができなくなってしまった。
「ど、どうしたんだ!? 故障か!?」
「いや、それはないと思うけど……」
あわてだす鈴をなだめつつ、もう一度画面を注視する。
よく見れば、下のほうに四角いスペースがあって、そこに文字を書き込めるようになっていた。
「なんだ、メモリーカードにロックがかかってるだけだよ。これは鈴がやったの?」
「ううん。設定は全部馬鹿兄貴がやってたから、あたしは知らないんだ」
「ああ、そういえばそんな話をしたような気が……」
あれはいつのことだったろう?
みんなと出会って、野球チーム――リトルバスターズがようやく軌道に乗り出した頃だったから、五
月の下旬あたりだったと思う。
こんなふうに僕の部屋に恭介と真人、謙吾が集まって、女子組の親睦会から帰ってきた鈴に電話帳機
能の使い方を教えたっけ。
恭介が笑って、鈴が怒って、真人が蹴られて、謙吾がその隣であきれたようにそれを見て。
そして僕もそれを見て、やっぱり笑っていたんだ。
懐かしい思い出。
まだそれから半年もたっていないはずなのに、もうずいぶんと昔のことのように思えた。
「……理樹?」
心配そうな鈴の声で、我に返った。
「ああうん、大丈夫。これならパスワードを入れれば、ちゃんと動くようになるよ」
あわてて答えを返す。
どうにもいけない、みんなのこととなると、ついつい回想に耽りやすくなってしまうらしい。
頭を振って思考のかけらを払い落とす。
と、
「………………」
なぜか鈴が難しい顔をして黙り込んでいた。
「鈴?」
どうしたの、と言おうとした瞬間、
「……あたし、パスワード知らない」
ぼそり、と呟かれた言葉に脳がフリーズした。
「…………え?」
再起動にたっぷり数秒ほどを要して、ようやく意味のある言葉を絞り出す。
今、鈴はなんて言った?
「だから、あたしはパスワード知らないんだ。あの馬鹿兄貴が教えてくれなかったから」
もう一度言ってくれていた!
「………………」
こめかみを押さえる。
何か頭が痛くなってきたよ、恭介。
パスワードを知っているのは恭介だけ。
そして、その恭介はすでに雲の上の人であると言う事実。
「鈴」
がっし、と鈴の両肩をつかみ、目を見つめる。
「なんだ、理樹」
鈴の透き通った、一片の曇りもない無垢な双眸が僕を見つめ返す。
ああ、僕は今からこの綺麗な鈴の目を曇らせてしまわなくてはならない。
それが、他の誰でもない、鈴の望んだことゆえに。
誰が悪いってわけでもなく、ただ不幸に不幸が重なっただけ。
これは、仕方のないことなんだよ。
ごめん、鈴。
僕も最後まで付き合うから。
――そして僕は、その言葉を口にした。
「0000から全部試そう」
暇だったはずの休日は、どうやらとても長い戦いへと変貌を遂げたようだった。
「……りき、もうがんばれない(TT)」
「いや、よく頑張ったよ、鈴は。次は僕が逝くから、ゆっくり休んでて」
戦闘開始から早二時間。
二回目の休憩を終え、三度僕は前線へと躍り出る。
十の四乗で一万通り。
頭で計算するのは簡単でも、実際にそれを一つ一つ携帯に打ち込んでいくその作業は、まさに過酷の
一言に尽きた。
僕と鈴のタッグでようやく五千通りを超えたけど、その中に『当たり』はなく、一つを試しては落胆
し、それでもまた次の一つを打ち込んでいく。
二人ともすでに目はしぱしぱだ。
さっきまで携帯にかじりついていた鈴は、今は蒸しタオルを目の上に置き、椅子にもたれかかってぐ
ったりとしていた。
「……あの大馬鹿ロリコンド変態。パスワードくらいどっかに書いておけぼけ――……」
恭介を罵る声にも、力はない。
ちなみに言ってることは理不尽極まりないはずなのに、僕もまったく否定する気が起こらなかった。
ごめん恭介、さすがにこれはフォローできないよ、主に僕のメンタル的な問題で。
「ふぎゃ――――――――――――!!!」
鈴が叫びだした!
この世界の理不尽さにとうとう耐え切れなくなったんだろう。
気持ちは分かる、鈴がそうしていなかったら、代わりに僕がそうしたに違いない。
うん、というか、僕も今叫びたい気持ちでいっぱいだ。
その時だった。
越えられない壁に爪を立てるように振り回された鈴の腕が、机の上に置きっぱなしになっていた恭介
の漫画を払い落とした。
ぼとん、と音を立てて漫画が落ちる。
その音につられ、思わず僕も鈴もそっちを見た。
ぴらり
漫画のページの間から、薄っぺらい紙がこぼれ落ちる。
鈴の行動はすばやかった。
雀を取る猫のようにすさまじい勢いで紙に飛びつき、すばやく表裏を確認、続けざま内容に目を通そ
うとした所で、よっぽど焦っていたのか紙を取り落としてしまう。
「はい、鈴」
再び床へと落ちた紙を拾い上げる。
頷いて受け取った鈴の隣に立って、一緒にその紙を覗き込んだ。
鈴の手のひらに広げられた紙片。
果たしてそこには――
『理樹、よくここまでたどり着いた。この《学園革命スクレボ》シリーズ全十巻を読破したお前は、
今や勇者と呼ばれる資格がある。よって、特別に鈴の携帯のパスワードを教えてやろう。なに、いつ
か役に立つ、しっかり覚えとけ。大丈夫だ、すげえ覚えやすいヤツにしておいたから。
9364(くさむしり) ……どうだ、これなら覚えやすいだろ。鈴には秘密だぜ?
by恭介』
「………………」
「………………」
なんか、もはや何も言えなかった。
なんで僕宛になってるんだろうとか、何故に草むしりなんだろうとか、そんな疑問を感じている余裕
もない。
あの人は、一体どこまで未来を先読みしていたんだろう?
思考も感情も抜け落ちてしまった今の僕にも唯一つ分かったのは、
「ふぎゃぁぁあああぁあぁああぁぁぁ――――――――――――――――!!!!!!」
この鈴をなだめるのは結構な手間がかかるだろうなという、なんとも諦念感あふれる未来だけだった。
その後のことを、少しだけ話しておく。
恭介の遺したメッセージのおかげでメールデータの写し取りは何の問題もなく終了し、鈴は晴れて新
しい携帯を買うことができた。
そして週明け月曜日。
相談に乗ってもらったお礼をしてくる、と言って僕を先に帰らせた鈴は、
「ただいま……」
と、疲れ切った顔で僕の部屋に入ってくるや、そのままベッドに倒れこんでしまった。
「ちょ、大丈夫?」
「つかれた……。理樹、ちょっと寝かせてくれ……」
「いやいやいや、女子寮に鈴の部屋があるんだけど」
「ここがいい。もう動きたくない……」
僕の布団にもぐりこんで、もごもごと返事をしてくる。
「……まあいいけど。でもどうしてそんなに疲れてるのさ? たしかお礼をしに行ったんじゃなかっ
たの?」
今度は返事はなかった。
代わりに団子になった布団の中からピ、ピ、という音が聞こえてきて、直後、そこから携帯を握った
手がにゅっと突き出してきた。
……受け取れということだろうか。
とりあえず、その手から携帯を受け取る。
昨日買い換えたばかりの、鈴の新しい携帯だ。画面にはアドレス帳が表示されている。
と、
「…………鈴」
――そこは、新しいクラスメイトたちのアドレスでいっぱいになっていた。
鈴の席の左の子、右の子、高柳さん、ずらりと鈴の周りの女子の名前が並んでいる。
かと思えば、ぜんぜん反対方向の席の子や、僕にも分からない名前――たぶん先輩か後輩のものだろ
う――があったりする。
たった一日前だ。
昨日までは、鈴のアドレス帳に載っていたのはリトルバスターズの面々だけだった。
そのアドレス帳が、今はたくさんの名前で埋まっている。
恭介の手は借りず、僕の手も借りず。
他の誰の手も借りずに、鈴の手が、それをやったんだ。
やがて、丸まった布団の中から鈴の寝息が聞こえてくる。
それは、どことなく誇らしそうな響きをしているように思えた。
あとがき
こんにちは、あるいはこんばんわ、ひょっとするとおはようございます。かたてなべです。
二作目です。特に続き物というわけではありませんが、一作目と同じ世界観で書いています。
携帯のメール、皆さんは保存可能件数を超えた分をどうしているでしょうか。
くだらないやり取りだったとしても、そこにはやっぱり相手がいて、伝えたいことがある。
そういう点では、電子メールも手書きの手紙も同じものだと思うのです。
そういう見方をすると、友人がいらないメールを数十件単位で消去しているのを見て、
なんともいえない気分になったりします。
果たしてそれが手書きの手紙だったとしたら、同じことができるのか、と。
できないんだろうなあ。これが手書きのぬくもりとか言うやつでしょうか。
鈴もそんなことを考えるのかなあ、とか思いつつも、結局保存可能件数を超えた分は
削除してしまう作者です。
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
かたてなべでした。
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